「だったら、俺も穢れる」
「え?」
「綺麗でいたいわけじゃないんだ。陽の当たる場所で生きていたいわけじゃな
いんだ。俺にとって、一番大事なことは―――シエルと一緒にいることなんだよ」
「それは―――そんな、いけないことです」
「判ってるよ」
「わたしのために、遠野くんがそんな風になる必要なんて」
「勘違いしてる。俺は同情で言ってるんじゃないし、義務でもない。これは、
権利だ。自分は穢れてるなんて言って、過去のことで今と未来を捨てようなん
て、シエルが許しても俺が許さない」
「あ……あぁ…」
「だから、シエルが許せないくらいの自分を抱えて生きていくのなら」
「ああぁ……」

 耳の付け根に、くちびるを触れてから、届くように、一番奥に届くように、
言った。

「一緒に、堕ちよう」

「あ、ああ、う、うあああぁぁぁぁん」

 部屋の中に、シエルの泣き喚く声が響いて、それを受け止めるように、志貴
は、縋り付く身体を、ことさら強く抱きしめた。


 どのくらいそうしていたのか、もう判らなくなった頃に、ようやくシエルは
泣き止んだ。

「子供みたいに…ひくっ…泣いちゃい、ました」

 まだ余韻が残るのか、時折しゃくりあげる。

「でも……良いんですか?辞表を出したと言っても、最終的には、わたしは機
関には逆らえません。いずれ暫定的にでも復帰することになります。またあの
世界に戻ることになるんですよ?それでも―――」

 シエルが大きく呼吸するのを感じる。覚悟を決めているかのように。

「―――それでも、遠野くんは、わたしについて来てくれますか?」
「俺は……こんなイカれた眼の持ち主で、ナイフの扱いが妙に上手くて」

 志貴は、直截には答えずに言う。

「他人の身体を切り刻んだことだってある。きっとシエルと同じ場所でも生き
ていける。でも」
「でも?」
「そんなこと関係なくて、傍にいたいんだ。俺の知らないどこかで、危ない目
に合ってるなんて、それこそ嫌だね」

 彼女の身体を離し、先刻までの重い空気を払うように、おどけて言った。

「これが答え。どう?」

 志貴の眼に写るシエルは、まだ泣き止んでいなかったのか、また泣きそうに
なったのか、区別は着かなかった。

「良いんですか、ほんとに」
「この上なく」
「こんな女ですよ、わたしは」
「そんなシエルだから、好きなんだけど」
「信じますよ?」
「信じて欲しいな」
「一生ずっとでも?」
「いつ終わるか判らないけど、ずっと」
「何ですか、それ」

 涙の滲んだ瞳で、それでもシエルは笑って言った。

「俺は壊れかけの身体だし、これから危険だらけの人生になりそうだし」

 志貴は柔らかい表情をしたままで、やっぱりおどけて応える。

「護りますよ。えぇ、護ってみせます」
「頼りにしてる」
「えへへ」

 ぽて。と、音がして、シエルの躰が、再び志貴の胸の中に落ちて来た。眼を
閉じた笑顔で、眠るようにして、何をするでもない。

「……ね、遠野くん」

 少しの間を置いて、彼の方に向けたその顔は、さっきとは違う笑顔。

「しましょうか」

 頬は薄く紅く、瞳には涙とは違う別の潤み。そんな、さっきとは違う笑顔で。


「……唐突だね」

 言いながらも、志貴は、自分の中で、何かのスウィッチの存在を感じた。そ
れが切り替わっていくのも。

「嫌ですか?」
「そんなこと、ないけど、どうして?」
「わたし、今ものすごくしあわせです。それが理由では、いけませんか?」

 きりり。あぁ、これはスウィッチの音だ。

「もっとも、理由なんて、どうでも良いのかも知れませんね」

 きり。あ、これはスウィッチじゃなくて―――

「好きなひとと愛し合うのには」

 かきん。
 これは、撃鉄だ。自分の中にある何かを、目の前の彼女に打ち出す、撃鉄だ。
 そう気付くと同時に、シエルのくちびるに、吸い付いた。
 
「んぅううっ…ふぅん……んんんっ」

 特別な何もしていない。ふたりは、ただ抱き合ってくちづけているだけ。
 それなのに、シエルは躰を小さく震わせて、漏れる息は荒く、志貴はと言え
ば、心臓の鼓動に合わせて、後頭部の辺りに疼くものがある。

「ふうう、んんん」

 痛みではない、痺れ。それが、脈動を打つように響いて止まない。
 ひたすらに強く押しつけてくるシエルのくちびるを、やはりくちびるで受け
止める。それだけの、ただそれだけのことなのに。
 ―――どうして、甘いんだろう。
 その疑問が須臾の間で弾けて消えたのは、シエルの舌が、自分の口腔に滑り
込んだからだ。
 これまで、互いの舌を絡ませ合ったことは、それこそ数え切れないほどにあ
る。しかし、シエルの側から求めてきたことはない。その事実だけで、彼の脳
髄は蕩けそうになる。

「あ、あむぅうん。はむっ」

 追いかけるように、志貴の舌から離れないその動きは『まだ足りない』と訴
えるようだ。
 だから、応えることにした。
 ちゅるるるる。
 舌を躍らせて、より激しく絡め合う。合わせたくちびるの端から、唾液が垂
れ落ち、漏れる息遣いはさらに荒くなる。

「んはぁ、ふんんん」

 その全てが、志貴を高みに押し上げる。シエルの腰に廻した腕に伝わる震え
も、志貴の首に廻された彼女の腕の締め付ける強さも、押し付けられて形を変
えた胸乳の感触も、何もかもが。
 ―――このまま、こうしていたい。ずっと、こうしていたい。
 湧き上がるような思いは、半瞬で消えた。
 首の後ろに廻ったままの、シエルの手が、志貴のシャツをたくし上げ、晒さ
れたその背中を、切羽詰まった動きで撫で回したからだ。
 彼を欲しがっている彼女と、そんな彼女を欲しがっている彼。
 さらなる深みを見ているふたり。彼らが、その深みを望めるのは、この部屋
だけだ。他のどこでさえ、何某かの邪魔が入る。その邪魔を、しがらみとして
退けることができないふたりは、ここでしか愛し合うこともままならない。
 それを判っているから、互いに加減というものが無くなる。いつもそうだ。
 このときも、背中に触れるシエルの掌を感じた瞬間に、志貴の分別も自制も、
消えて失せた。
 彼女の舌を吸いながら、スウェットを胸の上までずり上げる。上げたその手
を下げる一挙動で、ブラのフロントホックを引っかけて外す。多少強引だった
から、ホックが壊れたかも知れないが、志貴は気にも留めない。
 縛めを解かれた乳房が、波打って志貴の眼に晒される。

「―――ふぅ」

 ようやくくちびるを離して、彼は小さく息を吐く。この双丘にこうまで惹き
寄せられる自分が、いつも不思議だ。ただの肉の塊なのに、シエルのものだと
いうだけで、余人のものとは違う。そういう感覚がある。もっとも、他人の胸
など、ほとんど見たこともない彼だったが。

「上手になってますね」吐息混じりの声で言う。
「何が?」
「外しかたです」ブラのことを言っているのだろう。
「壊しちゃったかも」
「え?」

 いくらか慌て気味に、己の脇にぶら下がっているブラを手に取る。

「……金具が、曲がってますね。少し」

 非難混じりの視線を向ける。

「マジ?あーごめん先輩。その、ちょっと焦ったかも」
「そんなに急がなくても」

 眉を下げて、すまなさそうな顔をする志貴に、笑顔を向けて、

「この胸は、遠野くん専用です」

 ぐい。と、自分で乳房を持ち上げて、志貴の方に差し出してみせた。
 それを見て、ほんの少しだけ背を反らしたのは、シエルの胸を避けたからで
はない。彼女の言葉と、その淫靡な様に、座ったままで立ち眩みを起こしたか
らだ。身体中の血液が唸りを上げて一点に集中するのを感じる。これ以上、上
体を起こしていられない。気の利いた言葉を返そうにも、今の彼の脳に、まと
もな言語は存在しない。
 だから、何も言わずに、反動をつけるようにして、彼女の胸にしがみ付いた。

「はぅ……」

 急に胸の谷間に顔を埋めた、その勢いに、シエルが息を漏らす。

「くうぅぅっ」

 根元に添えた手を荒く動かして、出るはずもない母乳を絞り出すかのような
志貴の愛撫に、シエルの声も高くなる。

「は、あ、あぁぁ、あ」

 自分の乳房が強く揉み潰される度に、胸の細胞がぶちんぶちんと潰れる音が
聞こえる気がする。だが、そのひとつひとつが、そのまま快感となって、彼女
の脳に信号を送る。
 ちゅうぅ。

「あ、あぅ、うぅ」

 谷間の内側を吸われて、

「ひゃあぁ」

 辿られた舌で、頂きを撫でられて、

「あっ、くうっ」

 その乳首を強く噛まれて、その蹂躪の全てが、脳に届く前に、痺れるような
甘さになり、彼女は身を震わせて、それを味わった。
 激しく求められている。性欲と情愛が直結しないことを、嫌というほど知っ
ている彼女だが、今はその認識がどうでも良かった。
 求めているのは、他の誰でもない志貴なのだから。

 二度ばかり、軽い高みに押し上げられてから、シエルは自分が仰け反りすぎ
て、床に寝そべっていることに気付いた。志貴はと言うと、飽きもせず彼女の
双丘を弄んでいる。

「ね、遠野くん……」

 熱い息を吐きながら声をかけると、

「ベッドに、上がってください」
「?」
「このままだと、背中、痛いです」

 得心がいったらしい志貴が、躰を起こして、ベッドの縁に座る。手を取って、
シエルの躰を引っ張り上げる。
 が、腰の定まらない彼女は、崩れるように、彼にしがみ付く。舌を出して、
彼のくちびるをひと舐め。そこから少し下がって、顎先に軽くくちづけた。
 なおも下に降りていくシエルの頭を見て、志貴は、彼女の考えを先読みした。

「あっ、え?」

 彼女の両脇に手を入れて、抱き上げると、途中で躰をひっくり返しながら、
ベッドに倒れ込んだ。

「あ……」

 シエルの目の前には、志貴の腰が見え、見上げる志貴の目には、同じように
シエルの腰が見えた。

「こういうので、するんですか?」

 互いの脚の間を愛し合うのは、何も初めてではないのだが、実のところシエ
ルはあまり好みではない。己の口に感じる志貴の熱さと、腰に響く痺れ。その
ふたつに神経が引き千切られるような感覚の混乱に、まだ慣れていないのだ。

「一方的にされるのが、何かヤなんだ」

 彼女のスウェットを膝下まで下ろしながら言う。

「さっきは、さんざん一方的だったじゃないですか」

 負けじと、というわけでもないが、こちらも、志貴のジーンズを脱がせなが
ら応える。

「するのは、構わないんだ」

 言い終わりに、露わになったシエルのショーツの中心を撫でる。

「はぁっ」

 不意打ちを食らったシエルが、身を伏せて大きく息を吐く。その温度のある
息を受けた志貴の腰のものが、トランクス越しに、びくんと脈を打った。

「もうっ、震えちゃいますっ」

 邪魔でもされたように感じたのか、シエルの動きがさらに急いた。あむん、
と、下着の布地ごと、志貴の猛るものをひと含みすると、そのままでトランク
スをずり下げていく。

「ん……」

 

                                      《つづく》