酔・反・柔
          末丸




「はぁ………」


宙を見つめ、志貴は幾度めかのため息を吐く。
時計の両針は既に真上に迫り、その針体をゆっくりと進めている。

土曜日の夜。

――――場所は食堂。

自分の目の前に広がる光景を前に、
志貴は頭が痛くなってくる気がした。

その目に映っているのは3つの人影。
よく知っている顔、赤く染まった顔が3つ。
よく知っている顔、三者三様の姿。

一人目は翡翠。
様々な料理や酒が並ぶテーブルの上に、突っ伏して眠っている。
おそらくはかなり赤くなっているであろうその顔は隠れ、
腕の間から見える赤い髪と、小さな寝息だけが聞こえる。

その右腕にはまだ力無くグラスが握られており、
中身も残ったまま。

翡翠が飲んでいたのは―――――何だっけ?
かなり強い酒であったのは間違いない。
ちょび、と舐めただけで翡翠は顔を真っ赤にしていたし………

志貴も、翡翠ほどではないが酒に強くはない、
おつかれさま、とそう翡翠に念じ、何故こんなことになったのか考えてみる。


「…………」

確か琥珀さんが”明日はお休みですし”って………

「………………」

途中で秋葉と翡翠も絡みだして………

「……………………」


……………覚えていない。
いや、思い出したくないのかもしれない。

最初の方、翡翠の真っ赤になった顔だけが、
やけに印象強く残っていた。

まぁ、翡翠はあんまり酒が強くないし――――



「だぁ〜〜かぁ〜〜らぁ〜〜それはですねぇ〜〜あきはさまぁ〜〜?」
「さっきから何を言ってるの琥珀? それは違うと言っているでしょう!?」



――――この2人と違って。

「はぁ………」

志貴は再びため息を付いた。
虚無へと現実逃避したくなるような光景。

そこには、残る2人の姿と声。

「いいかげんにして琥珀、水は冷やすと氷になるに決まってるでしょう!?」

あまりいつもと変わっていない様に見えるが、
あれはあれでかなり酔っている秋葉。
得体の知れない酒の入ったグラスを片手に、
訳の分からないことを繰り返し吐き捨てている。

おそらく、自分でも何を言っているか分かっていないだろう。
自身の髪が薄朱に染まり始めていることも………

「そぅ〜〜じゃぁないですってぇ〜〜水はぁ〜〜暖めるとお湯にぃ〜〜」

そんな秋葉と対等に渡り合っている、見慣れた割烹着。琥珀。
例によって頬を赤く染め、こちらは一升瓶を両手に振り回し、
秋葉の意味不明な言葉に、更に意味不明な会話を紡いでいる。

2人の周りには、その役割を終えた酒瓶達が転がって………もとい、積み重な
って………
………いや、もとい小さなバリケードを築くかのようになっていた。

「秋葉さまぁ〜〜? 海蛇はぁ〜〜山にはいないんですよぉ〜〜」
「訳が分からないわ、あなた鉄を食べる気?」

もはや誰にも翻訳不可能な領域にまで達してしまった2人の会話。

そんな秋葉と琥珀のやり取りを少し離れた所から見つめながら、
志貴は少し呆れ、同時に少し微笑ましく思った。

―――――しかし、

「……………んっ?」

いつの間にかその会話は止み、何か刺さるような感覚を覚える。
それは………

「あぁ〜〜志貴さん飲んでなぁ〜〜〜い!!」

―――――へっ?

不意に聞こえた悪魔の声。
自身の発した間抜けな声。

それら2つを聞きながら、
志貴は闇へと引きずられる自分の姿が見えたような気がしていた。

その声に反応するかのように、”何ですって!?”という台詞。

「兄さん、グラスが空じゃないですか!?」
「えっ、いや………それは………」

お前達に付き合うと体が持たないんだよ………などとは、言える筈もない。

「だめですよぉ〜〜志貴さん?」

―――――ぅ。

琥珀の視線が刺さり、志貴は首筋に冷や汗が伝うのを感じた。

「じぃ〜〜」
「………………」

志貴は、瞬きもせずに近寄ってくる2人の悪魔の姿に、
思わず身を引き、上半身をのけぞらせてしまう。

「誰が悪魔ですか!?」
「………………」

(心まで読めるようになったか、秋葉よ………)

段々と進化(?)していく妹を前に、志貴の恐怖感は高まっていく。


逃げろ――――生存本能がそう言っている。


―――――――ムリだ。 


やけに冷静な理性がそう言っていた。


「さぁ兄さん、もっと飲んでください、私と琥珀しか飲んでないじゃないです
か!?」
「いや、秋葉、俺はもう………」
「もう……何ですか?」
「………………」

秋葉の言葉が志貴の言葉を生まれる前に潰していく。

「志貴さぁ〜〜ん、諦めた方が身のためですよぉ〜〜?」
「兄さん、私のお酒が飲めないんですか!?」

迫ってくる2人の勢い………いや、オーラとでも言い換えた方がいいだろうか?
その力は加速度的に強さを増し、志貴に圧力をかけていく。


それでも志貴は、何とかこの状況から抜け出そうと―――――


「…………(チラッ)」
「「じぃ〜〜」」


―――――だからムリだって。


「はぁ………」

そう、最初から逃げ道などないのだ。
ため息と共に、それを改めて実感する。

顔を俯かせ、諦めたように、志貴は秋葉に空のグラスを手渡した。
対する秋葉は勝ち誇ったようにそのグラスを受け取ると、
中に透明な赤色の液体を注いでいく――――種類は…………んっ?


――――赤酒………お、檻髪!?


は、初めて聞く……言葉でもないが………もちろん、志貴は飲んだことは無い。
注がれている瓶のラベルには、
なかなか達筆な文字で、そう酒の名前が描かれている。

産地などは明記されておらず、なかなかに、というよりかなり怪しい酒………
誰が作ったんだよこんな物? っていうか、これは酒なのか?
とは聞けるはずもなく、とりあえずそのラベルの小さな文字を目を細めてみて
いく。

(えぇと………アルコールの度数は………っ!?)

「は、はちじゅう………!?」

(クラッ)

志貴は目の前が一瞬闇に包まれたような気がした。
飛びそうになる意識を何とか現世にとどめ、問う。

「ちょっ、秋葉っ、そんな強い酒………って言うか、ほとんどアルコールその
ものじゃないか、それ」

しかし、時既に遅し。
秋葉の魔の手に落ちた志貴のグラスは、その内積のほとんどを赤い液体に支配
されていた。

「ぁ………………」
「はい兄さん、どうぞ」

どうぞって…………ちょっと待て
何故に秋葉、お前はこんなに強い酒を何の疑問も持たずに飲み干している?
お前は未成年だろう……って、こんな物大人でも………

志貴は考える、
しかし、答えなど出るはずもない。
この館の中で、世間一般の常識は通用しないのだ。

目の前に突きつけられた魔のグラスを見つめ、
志貴は眩暈を感じる。
その妖しいほどに赤く、透明な液体は強い匂いを放ち、そこにある。

夢であることを祈る志貴、しかし、それも無駄に終わる。

「いくらなんでも……これは………」
「何を言ってるんですかぁ〜〜志貴さん? 翡翠ちゃんも飲んでたんですから、
 だいじょ〜〜ぶですよぉ〜〜」
「え、翡翠?」

さっきまで寝ていたはずだけど………あれ、いない。
首を捻り、あたりを見回してみる。

(―――――あ、いた)

別に消えたわけではなく、ただ座る場所を変えただけだったようだ。
まぁ、五月蝿かったし、目も覚めてしまったのだろう。

翡翠は先ほどまで秋葉と琥珀が論議(?)していたあたりで、
一人で飲むことを再開していた………無論、顔は真っ赤。

そして、グラスの中身は―――――

「やっぱ、檻髪なのか………」

どうやら小瓶のタイプのものもあるらしく、
それが何本か翡翠の周りにはいびつに並んでいた。

「大丈夫かな………?」

あれはあれで楽しいのだろう、
ちびちび、と両掌で抱えたグラスの中身を少しずつ減らしている。
無理をしなければいいが――――――などと他人の心配をしている場合ではな
かった。

(それより、今は自分の………)

目の前には、血の様に赤く染まった液体………もとい、酒。

志貴はそのグラスを握り締め、睨みつけ、息を吸い込み………


ゴクッ






バタッ


志貴の記憶は、ここで一旦途絶えた………