ゴトッ

体に何かが触れる音。
戻り始めた意識の中で、最初に聞いた音が、更に思考をしっかりさせてくれる。

「……っ……ぅん……?」

どうやら倒れてきた瓶が軽く体に当たったようだ。

未だぼやける視界、その靄を頭を振ることで振り払う。
徐々に見えてくる見慣れた食堂の姿………

見慣れ―――――


「はぁ………」


―――――てはいなかった。


あたりに立ち込めるアルコール臭………しかもかなり強め。
床に散らばる食器………ものすごく高そうなやつもいくつか割れているようだ。
もう小さな家ぐらいなら建てれそうなほどの空瓶………数はもはや数え切れな
い。

ついでに、聞こえてくる3つの寝息。

この状況を形容するのに、難しい言葉は要らない、
漢字2文字で十分。


―――――戦場(爆


カチッ

「…………っ」

ぼ〜〜ん  ボ〜〜ン  ぼ〜〜ん


沈黙を破る音、志貴はその方向に降り向いた。
いつの間にか時計の針は既に3時を指している、草木も眠るなんとやらだ。

この状況を志貴一人で何とかするのは到底不可能だろうから、
今はとにかく、潰れてしまった3人をどうにかする方が先だろう。


「お〜〜い、秋葉、起きろ、風邪引くぞ?」
「ぅ………んっ………」

まだ夢の中にいるのか、少し呆けたままの秋葉を揺り起こす。

「こんなところで寝たら本当に風邪引くぞ?」
「ふぁい……にいさん………」

うつろな目のままロビーへと向かう秋葉。
まだ足元はふらついているが、あの分なら自分の部屋ぐらいには戻れるだろう。

志貴はその姿を見送って、次は――――


「琥珀さん、大丈夫?」
「ふみゅ……しき、さん…………ZZZ……」
「寝ちゃ駄目だって……」

こちらもまだ半分は寝ているのだろう、
そんな琥珀をゆっくり立ち上がらせると、自分の部屋へと帰させる。

そんな後ろ姿が消えた後、
廊下から「なははははは〜〜」と時折聞こえるのはいささか無気味ではあった
が。

「あとは……っと」

残る寝息は一つ。

(え〜〜っと……あり、翡翠は?)

またいない。
食堂には翡翠の姿は無く、
その寝息だけが僅かに居間へと続く扉の隙間から漏れていた。

「……………ぁ」

その姿を見て、思わず小さな声をあげてしまった。
翡翠の寝姿。
居間のソファーに体を預け、静かに眠っている。

傍らには空になって転がっている「赤酒・檻髪」の瓶が数本。

「これ……全部一人で飲んだのか……?」

まだ薄っすらと、頬が赤く染まっている事が、
少し離れていてもよく分かる。
それをもっとよく見えるようにと、
志貴は足音を立てないように志貴は翡翠の正面にしゃがみこんだ。

より近く、鮮明に見える翡翠の顔。


――――――可愛い。


単純にそう思った。
もしかしたら無意識の内に言葉にしていたかもしれない、
そんな正直な気持ち。

「全く、無理して飲まなくてもいいのに………」

軽く笑みを浮かべながら、志貴は翡翠の赤い髪に触れた。
抵抗無く滑るような感覚。
そっと頭を撫でてみる。

「ふふ………」

今度は人差し指で、優しくその頬を突付いてみた。

柔らかい。

ぷにぷにとしていて、志貴の指をその弾力で押し返してくる。
いつまでもこうしていたいと思わせるほど、その感触は優しく、そして気持ち
よかった。

でも………

「いつまでもこうしているわけには…………………っ」



トサッ



絹が少し擦れるような音がした後…………


…………志貴の思考は、一瞬停止した。






体にかかる重み。

――――翡翠が………

触れている胸。

――――抱きついて………

頬に当たる赤い髪。

――――ヒスイが………

すぐ横で聞こえる吐息。

――――ダキツイテイル?


どうして?―――――――分からない。


いろいろな考えが浮かんではすぐ消える。

「えっ、ちょっと、翡翠!?」
「………………」

声をかけるが反応はない。
軽くその体をゆすっても、それは変わらない。

「翡翠………?」
「…………ZZZ」
「――――――」


―――――寝ていた。

すぐに分かりそうなものだが、
普段であればありえない状況に、志貴も混乱していた。

そ、翡翠は眠っていただけ、
おそらく、抱きついてきたのではなく、こちらに倒れこんできただけなのだろ
う。

ホッとしたような、がっかりしたような……
志貴はそんな複雑な気持ちになった。
しかし、はたから見れば互いを抱きしめているように見えるはず………。

(………って、何を俺は冷静に……)

「と、にかく……おい、翡翠?」
「ZZZ………」
「駄目だこりゃ……」

どうやら完全に酔いつぶれているらしく、このままでは当分起きそうにない。
最低でも明日……いや正確には今日の、朝までは。

「しかたないな………」

そう静かに呟くと、志貴はゆっくりと翡翠を抱きかかえる。
いわゆる”お姫様だっこ”の状態。

やっぱり軽い………
そうだ、こんな華奢な体で、翡翠はいつもこれだけ広い館を………
不意に、そう思った。

(いつもご苦労様……)

目を閉じている彼女に向かって、心から例を言う。

「翡翠、ありが――――」



「志貴さまっ!!」



「―――とぅわい!?」

凛とした声が響く。
突然耳に届いた強烈な響きに、志貴は思わず目を大きくした。

敬礼でもしてしまいそうな、よく通る声。

「ひ、翡翠……?」

申し訳なさそうに、志貴は声をあげた顔を覗き込む。

「…………ZZZ」
「…………あれ?」

やっぱり寝ている………。
今のは何だったのだろう、寝言か………?

少し驚いたが、とにかくこのまま翡翠を部屋に――――

「志貴さま!? こんなところで寝たら風邪を引いてしまいますっ!!」
「はいはい、だから今こうやって―――」
「ZZZ………」

…………ぉぃ。
志貴は呟いた。

「翡翠、もしかしてからかってるのか………?」
「ZZZ………」

どうやら本当に寝ている……らしい。

(まぁ、翡翠がこんな事するとは思えないし………)

いいか、志貴は何かを納得したようにゆっくりと居間の中を歩いていく。
からかわれたとしても、翡翠になら別に構わない、
むしろ、そんな一面を見る事が出来て、逆に嬉しいぐらいだ。

「………ぅ………ん……」
「ぁ…………」

志貴は自分の腕の中で動く感触を得る。
起こしてしまったか? とその顔を見ると、

「………ZZZ」

どうやら本当に深い眠りの中に落ちているらしく、
その顔は安らか。

 すぅー

    すぅー

細い吐息も聞こえる。
力を失って腕の中で眠る翡翠。
肌寒いのか、少し体を丸め、志貴の胸に頬が当たる。

「むにゃ………」
「全く、可愛いんだから……」

呆れたような、諦めたような。
そんな声を聞こえてはいないというのに翡翠へと届けた。
夢の中でなら、聞こえているかな? と、
おかしなことを思う自分に、志貴はまた違う笑みを浮かべた。

「ふふ………志貴さま………」
「(びくっ)」

再び翡翠が声をあげ、
それに再び驚いてしまう志貴。
翡翠のその声、今度は少し笑っているようにも聞こえるが………?

何か言い様のない悪寒が背筋を走る。
あえて言い換えるなら、琥珀さんのそれに似ていた。

「………ZZZ」
「やっぱり………」

今度こそ起きたかとも思ったが、翡翠は起きてない。
いや、起きているのかもしれないが、そんな素振りは見えない。

「変な夢でも見ていることにしておこう………」
「むふふふふふふ…………志貴さまぁ………」

何がそんなに楽しいのか、それほどに楽しい夢を見ているのか、
翡翠の笑みは止まらない。
僅かに揺れる志貴の腕の中、
先ほど琥珀が部屋に戻った時のように館の中に無気味な笑い声が響く。

「…………翡翠」
「ZZZ………」

「………………」
「あなたを犯人です!!」
「はぁ………」

ため息を繰り返す。
何か、どっと疲れたような気がした。
訳の分からなさで言えば、酒を飲んでいるときの秋葉や琥珀よりもたちが悪い。
もうどうにもならんな、志貴はこれ以上やっても無駄と判断し、
とにかくはやく翡翠を部屋へと運ぶことにした。


むふふふ、とずっと奇妙な笑みを浮かべ続ける翡翠を抱え、
ようやく志貴は翡翠に部屋の前へとたどり着く。

(長かった………)

翡翠の部屋の扉の前で、ぐっとそれをかみ締め、拳を握った。

自分でも訳の分からない達成感だったが、
それはそれでよかった………。

「よかったのか? ………まぁいいか、とりあえず部屋に翡翠を……」

ガチャ――――ガチャガチャ

「何で開いてないんだよ………」

翡翠の部屋の扉は硬く閉ざされ、金具のぶつかる音がするだけ。

確か前にもこんなことがあったよな……などと思い浮かべつつ、
どうするべきか志貴は記憶の海に潜った。

「う〜〜む……前はここで俺の部屋に運んで………」

起きたら――――

「起きたら翡翠が隣で………」

あの時は翡翠に触れる事が容易ではなかったから、
彼女の衣服の中にあるであろう鍵を取り出せなかった。
しかし今は………

「もう怒らない、よな………」

既に翡翠とは知った知らないの仲ではない、
ここでポケットを探っても、まさか怒られはしないだろう。

そっと、志貴は翡翠のスカートについているポケットに手を伸ばし―――

ガシッ

「――――たぁ?」

予想していなかった感覚に、思わず間抜けな声をあげてしまった。
腕がつかまれている………その、寝ているはずの、翡翠に。

「?? 翡翠……起きてる…………っ!?」

                                      《つづく》