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忘れない……
末丸
「姉さん……お久しぶりです………」
静かに、呟く。
ただの吐息と変わらないような儚さで、その響きは虚空へと消える。
「……………」
言葉は無い、ただその視線は自身の手の甲。
一本の大木の前、あの時の回想が胸を、心を締め付ける。
しかしその拘束も、時が流るるにつれてその力を薄れさせていた。
空は鈍色………
曇ったその姿は、いまだ完全には晴れないその心を映しているかのよう。
また―――――
もう何度目になるだろう………また、思い返す。
――――――あの時、姉さんは笑っていた………
冷たい刃の切っ先をその胸に埋め、赤き雫を口の端に浮かべながら。
もう動くことは無いその表情は確かに、笑みを浮かべ、
その熱を失っていった。
志貴さまの腕の中で、ひっそりと……それこそ眠るように――――――
大木に触れていた右の掌。
古風なメイド服に身を包んだ女性――翡翠は、そっと両目を閉じる。
―――――闇、光の届かない世界。
幼き頃から、姉がずっと背負っていたもの………。
彼女が、知らなかったと目を背けていたもの………。
一番辛い時期に、姉の傍に居てやれなかった自分の心に巣食っているもの。
―――――翡翠ちゃんは、気にすることないよ。
人形になれば、痛みなんて感じなくなるんだから―――――
違う世界で生きていた姉の言葉。
その言葉は、本当に姉の、琥珀の口から出た言葉だっただろうか?
その言の葉が、自身から生まれた偽善に聞こえる。
翡翠は、そっと目を開いた………。
「去年は………泣いてた、のに………」
この場所であの時、一つの命が消えてから巡りくる秋は2度目。
広葉の木々の葉は、朱黄に染まり地へと揺らめき落ち始めていた。
もう涙さえ流れない。
そんな自分がとても悲しく、冷たいように感じた。
「いつかは……忘れて、しまうの? 姉さんのことも……秋葉さまも………」
地面に幾重にも重なり、横たわる秋の葉。
朱に染まり、黄に染まるその葉に、2人を重ねてしまう。
でも、少しずつ………その姿もぼやけて………
「泣いても………いいんだよ…………?」
ざっ、という木の葉を踏む音と共に、後ろから声をかけられた。
即座に振り向いた翡翠の目に映るのは、
悲しい笑顔を浮かべる志貴の顔。
あの時、ただ一人琥珀の死を見、
翡翠と共に真実を背負い始めた、ただ一人の人、そして――――
「志貴、さま………」
――――唯一、翡翠が心から愛していると言得る人。
ポツッ
冷たい感覚が、少し遅れて伝わってきた。
感じた場所は頭。
すぐにその感覚は途絶え、また無触の状態に戻る。
空は煙のような雲に被われ、その姿を分厚い灰黒へと変えていく。
「泣いても……いいんだよ、翡翠………?」
「……………」
同じ言葉を繰り返す志貴の前、
先ほどまで大木に触れていた右手を包み込むように、翡翠は両の掌を胸に当てた。
ポツッ
また同じ感触、今度は最初よりも鮮明に伝わってくる。
―――――雨。
まだ降ってはこない………先走った雫が、翡翠の白い手に触れただけ。
ゆっくりと志貴と視線を重ね、翡翠は、
「いえ………」
と、首を僅かに横に振る。
「私は、もう泣きません……だって、2人で……決めたじゃ、ないです、か……
………もう、2人の………ことでは、泣かない、って………」
ざっ、と志貴が翡翠に向かって一歩を踏み出し、
同時に、
「じゃあ………どうして翡翠は今………泣いてるの………?」
「っ…………」
泣いているような、笑っているような、
ただその悲しみだけが伝わる表情で、志貴は翡翠へと近づいていく。
ポツッ
また、雫が落ちた。
「泣いて……ません………」
「翡翠……」
自身の頬に伝う感触に、ただ理由もなく否定する。
胸の前で抱えている両手に、その熱を求めた気がした。
ポツッ………ポツッ………
―――――雫の合唱が、始まった。
どれほど時間が過ぎただろうか………
いや、それほど時間自体は過ぎてはいない、
ただその場の2人には、それが光の見えないトンネルのように、
長く、ひたすらに長く感じていた。
ざあぁ、と続いて空から落ちてくる雫の群れは、その勢いを緩めることは無く、
地に立ちつくす2人の体を容赦なく濡らし、熱を奪う。
大木の下の所為か、多くの枝に阻まれ、
周りほどその勢いは強くない、しかし、充分過ぎるほど2人の体は濡れていた。
皮膚に衣服が張り付き、染み込み切れなかった雫は体を伝って、
地面の土へと還っていく。
「泣いて、なんか………」
不意に翡翠から吐き出された言葉が終わる前に、
志貴はそっとその頬に手を伸ばす。
「じゃあ……これは………?」
すでに雨に濡れているその頬に、
志貴もまた濡れた自分の手を当てる。
その蒼い瞳から流れる雫を拭って、
じっと志貴は翡翠を、翡翠は志貴を見つめた。
拭った部分は、すでに再び雨で濡れている。
「これは……あ、め……です………涙じゃ……………っ」
「もう、いいから…………」
一瞬だけ、志貴の体で翡翠の視界が奪われる。
離れていた雫が一つに戻ろうとするかのように自然に、
2つの薄い影は重なった。
衣服は濡れていても、まだ体温は残っている、
互いのそれを肌で感じ、ただ落つる雫の衝音をその耳に聞く。
志貴には、それ以上翡翠の顔を見ている事が出来なかった、
いくら否定しようと、翡翠の頬を伝っていたのは涙。
未だに振り切れない過去の思いの中に、翡翠も志貴もまだいるのだ。
それが分かるから、それが分かるからこそ、そんな翡翠を抱きしめずにはいられなかった。
「………っく……っ………」
もはや否定はしない。
翡翠は志貴の腕の中で、泣いていた。
むせび泣くその体を、ただ志貴は優しく包む。
「大丈夫?翡翠………?」
「し、き……さま………」
志貴の背中に回っていた翡翠の腕に力がこもり、
雨に浸った服を握り締める。
「いいから………今は、好きなだけ泣いて……いいから………」
ただ愛しかった、空へと奪われていく熱よりも、
ただ目の前の翡翠を抱きしめていたかった。
翡翠の肩越しに見える地面、
志貴はそこに、雨に濡れた紅葉の重なりを見る。
それが、涙のように見えた………
「っは………はぁっ………!!」
薄暗い中に、高い声が響く。
その中でひときわ濃い影が2つ、重なり、交わっていた。
その部屋の中には濃い欲の匂いで満たされ、
いっそう影の動きを早める。
「翡翠………っ………!!」
「志貴、さま………!」
雨にびしょ濡れになっていた体を温めることもせずに、
2人は抱き合い、そのまま情交に及んでいた。
互いの体を温める時間さえ惜しかった。
一秒でも早く、その素肌の感触、体温を感じたかった。
殆ど重ねた体を離す事無く、相手を自分の一部のように感じる。
「翡翠、翡翠、も、もう、俺………」
「あ、私も、ぁぁぁあっ………!」
一瞬、その動きが早まり、そして、止まった。
「はぁ……はぁ………」
「志貴さま………」
うつろな目を互いに見つめあい、何度目かの口付けを交わす。
「っん……んん………っ………」
最も近いところで、翡翠の顔を志貴は見つめていた。
じっと見つめたままの志貴に、翡翠も、
「………?」
と、不思議そうな顔を返す。
志貴も静かに笑って、
「やっと、泣き止んでくれたね………」
「志貴さま………」
その志貴の顔が、また翡翠の瞳を潤ませていく。
まいったな、という顔で志貴はその涙を優しく舌で舐めてやる。
すると、不意に翡翠の舌に触れた。
合図があるわけでもなく、ただそのまま舌を絡ませていく。
志貴が上の体勢だからか、翡翠が志貴の唾液を嚥下するような形になっているが、
翡翠もそれを苦に思っている様子はなく、志貴のほうも2人の混ざった液が
この上なく甘く感じていた。
時間の感覚などなく延々と、いや、永遠とも思える中、2人はただ互いの舌を味わっていた。
「……………ぁ」
不意に、翡翠が短く声をあげた。
「志貴さまの……また………」
へっ?、と志貴は自身の下半身の感覚に少し驚いた。
いつの間にかそれは力を取り戻し、翡翠の中でその存在を痛いほどに主張していたから。
あれだけ翡翠の中に出した後だというのに………
志貴は自分の体のことながら顔が赤く火照るのを感じる。
「ふふ……やっぱり、志貴さまですね…………」
「翡翠………」
「今だけ……今だけでいいです………志貴さま、今は志貴さまだけを見させてください………んっ」
返事の変わりに志貴は翡翠の唇を奪った。
同時に、翡翠の中に埋めていた自分自身も前後に動かし始める。
「んっ、はあぁっ………」
最初はゆっくり………
「あっ、ああっ………っ、はぁ………」
志貴の動きに合わせて翡翠の吐く息に熱がこもる。
それを耳元で感じながら、その暖かさに少しずつ動きを早めていく。
「はっ、はぁ………んっ、志貴さまの……初めより……おおき、く………っ!」
「翡翠……翡翠の中も、さっきより気持ちよく、なってる………」
止め処なく溢れ出てくる快楽に身を任せ、
志貴も一心不乱に翡翠を貫く。
最初よりも強く締め付ける翡翠の膣、
感応の力の所為か、段々と何かが滾る感覚を志貴は覚える。
「あ、あっ、ぁぁん………い、いいです………あぁっ、志貴さまっ!!」
少し動きを遅らせ、右の乳首を吸ってやる。
そして左と、その状態で出来る限りの場所を舐め尽していく。
そのたびに翡翠は声を上げ、そのたびに志貴の分身にも違う快楽が押し寄せていく。
反射的に翡翠の体が逃げようとするが、
背中から志貴の腕が翡翠の両肩を掴み、逃がさない。
「翡翠………」
下で喘ぐ翡翠の顔は、熱を帯び、
志貴を更なる領域へと引きずり込もうとする。
翡翠の体の感触に、すでに出してしまう寸前にまで、
志貴は高められていた。
ただ抱きしめるだけで、快楽を無限に搾り出されるように。
「志貴さまっ………今っは、全部っ………わすれっ、させて………んっ!!」
下さい、とおそらく言おうとした所で、また唇を奪った。
絶頂への最後の合図として。
「んっ、んんっ!! ………あ、ああああっ………志貴……さ、ま………」
「はっ、はっぁ………翡翠………また、出る……っ!!」
「何度でも……いいですから………んぁっ!!」
もう、堪えきれない。
志貴は最後に向かって腰を突き入れ、濡れた翡翠の秘部を本能のままに貫く。
「あ、ふぁっ、あっ、あっ、あああああっ、ぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
「翡翠っ、翡翠っ!!!」
頭の中が真っ白になる感覚を覚えながら、
2人は互いの熱を一番近い所で感じ、瞼を閉じた。
濡れた体は互いを吸い寄せ、更にその密着度を増す。
それでよかった。
今の2人には、その暖かさだけで、全てが満たされていた。
「志貴さま……」
「翡翠………」
――――外で降る雨の音が、遠く耳に聞こえたような気がした。
「………っ………」
「翡翠、起きた……?」
意識が戻った時、翡翠の頭は志貴の腕の上に置かれていた。
心地よいその感触を頬に惜しみながらも、翡翠はゆっくりと顔を上げ、
すぐ横にある志貴の顔を、そして後ろにある窓へと視線を移す。
「雨………止みませんね………」
空には闇が満ち、激しかった雨音も、
最初ほどの勢いはなく、静かに雫を降らせているだけ。
―――――静かだ。
そのまま、2人を沈黙が包んでいく。
汗も乾いた志貴の胸板に、翡翠はそっと寝ていた時のように頬を摺り寄せる。
――――ドクン
ドクン――――
翡翠は志貴の鼓動を聞いていた。
脈動を繰り返す感触―――――生の実感。
他に聞こえる音は、自分の吐息だけ、
しかしその吐息も、いつしか血の胎動にかき消されていった。
「志貴さまの鼓動が………聞こえます………」
「……………」
志貴は何も言わない。
翡翠を左腕に抱き、その瞳は闇と一体になった空を見つめていた。
―――――雨は……止まない。
(秋葉……琥珀さん………泣いて、いるのか……?)
未だに止むことのない雨を見つめ、
志貴にはそれが2人の涙のように思えた。
悲観的な考えということは分かっている、
そんなことは2人は考えていないと、分かっている―――――でも。
濡れた紅黄は、ただそれを思い返させるだけ。
失われた時を、ただ呼び覚ます………だけ。
「志貴さま………?」
「っ………」
翡翠の声で、志貴は我に返った。
心配そうな顔をして、上目遣いにこちらを見つめている。
「何、どうかした?」
「志貴さまも………いぇ、何でもありません………」
「…………んっ、うん」
志貴の悲しげな雰囲気を悟ったのか、
翡翠もそれ以上は何も言おうとはしなかった。
その心遣いが、志貴には少しだけ嬉しかった。
ツ――――っと、
志貴の頬に暖かく、冷たい痕。
(志貴さま………泣いて………)
度の薄い眼鏡の後ろで涙を流す蒼い双眼を前に、
翡翠はただ強く、志貴の体を抱きしめる。
抱きしめるというより、しがみ付くといった表現の方が正しいかもしれないが、
「翡翠、ありがと………」
潤む瞳でそう言う志貴。
「志貴、さ、ま………」
「そうだよな、泣いてばかり、いるわけには………いかないよな………
こんな顔見られたら、秋葉に叱られちまう………」
「姉さんにも、笑われて、しまいますね………」
震える声で言う志貴に精一杯の笑顔でそう返し、
翡翠も自分の目が熱くなるのを感じた。
「そうだな……それに………俺には、翡翠がいるし………」
「志貴さま………」
「2人で……歩いて行かないとな………」
「……………はいっ」
2人を忘れることは出来ない。
でも、忘れる必要なんてない………姉さんも、秋葉さまも………
………ちゃんと、いるから………ここにいるから。
志貴と、自分の鼓動が一つになっていくのを感じながら、
忘れない………
そう心の中一人静かに呟くと、翡翠はゆっくりと瞳を閉じた。
<fin>
〜〜あとがき〜〜
はじめまして。
無謀な放浪者、末丸というものです。
以前からどっぷりとはまっていたのですが、
月姫のSSを書くのは今回が初めてでございます。
純愛………どうなんでしょうかね?
翡翠トゥルーエンドのアフターという形で書いてみたのですが………
あんまりエロくないような気が………。(汗
多々至らない所あるかと思いますが、
お付き合いくださり、ありがとうございました。
また書く機会があれば………その時に。
では、失礼いたしまする。 末丸。
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