居候の身であるので、贅沢な事は言えない。
 秋葉は気にせずに振る舞えというのであるが、だからといって我が物顔に振
る舞えるものではない。それに、どうやって我が物顔に主人面をしてこの館で
振る舞えるのかも私の理解できる範疇ではない。

 なので、書庫の中で昼を過ぎ、少し休憩したくなれば自分でお茶を入れるし
かない。
 それが摂理と言うものであった――琥珀に出会えば気を遣ってくれるのかも
しれないが、両方とも忙しい身であるのだから、邪魔はしない方がよい。

 私は書庫の脚立から降りると、書架の間を縫って外にたどり着く。暗く、風
通しもあまり良くもないがひどくここが私には落ち着ける空間であった。それ
はかびくさい穴蔵の学院育ちゆえの後遺症と言えなくもない。
 廊下に出て、一階のキッチンに向かう。琥珀がいればいいのだが――生憎と
留守にしている。私は中を覗き込むと、わずかに落胆の肩を落として自分でお
茶を入れ始める。

 この屋敷の主が紅茶党のためか、茶葉のストックは多い。戸棚を開けて中を
探り、一番減りの少ないハイランド・ウヴァを手に取る。良いお茶なのに勿体
ない、とも思うのではあるがこの屋敷ではシーズナルのダージリンが主流なの
で、セイロンは余り好まれないのかもしれない。
 薬缶にお湯を掛け、適当なカップを探す。琥珀のキッチンというのはどうも
整理の感覚がずれていて、妙なところに妙な物が埋まっている――最初は苦心
したが、今は勝手知ったる他人の何とやら、であった。

 マグとポットを見つけると、私はお湯が沸騰するのを待って煎れ始める。本
当はコーヒーが欲しいところであるが、あまり贅沢も言えない。ポットとマグ
カップを暖め、多めに紅茶を煎れはじめて――

「さて……どうしましょうか」

 私はポケットの中から琥珀に預かった鍵束を取りだし、眺める。あの書庫の
中に戻るのが最善かも知れないが、どうも飲食を行う空間ではない。このキッ
チンや食堂でも悪くはないが、どうも感覚が違う。そうなると……

「……事後承諾ですが、あの書斎がいい」

 分割思考がきっちり4分を数えると、私はストレーナーで茶葉を濾し、茜色
の蘭の香りのする紅茶を、マグに満たす。茶殻をすてて深紅にポットを置くと、
マグカップ片手にキッチンを出る。

 いろいろとやらなくては為らない事は多い。アルクェイド・ブリュンスタッ
ドの研究や秋葉の調査、それに志貴とそれにまつわる様々な人間の事、それに
また次の周期に入ったタタリ――時間は多そうで短い。だが、前の周期よりも
この周期の方が勝算がある。
 兎に角、我が身の死徒化の進行を食い止めない事には元も子もない。これが
火急かつもっとも重要な課題であった――が……

「……何故だ」

 私は下唇を噛んでかすかな苛立ちを口にする。
 私の意識に引っかかるのは、あのメイドの翡翠の姿であった。朝の出立の光
景を覗き見してから、私の思考に割り込みを掛けてくるのは彼女の存在であっ
た。彼女が志貴に対して、志貴が彼女に対してどういう関係であるのか――直
視の魔眼と共感者という、希有の力を持つ二人はどういう風な――

 そんな事は関係ない、どうでも良い事はずであった。
 だが、そこが引っかかって為らない。魔術書の隅に殴り書きされた、狂気の
錬金術師の戯言めいた言葉が真理を含んでいるように思えてならないような…
…知的好奇心というよりは、魂の根を絡めて感情の泥沼に引き込む病的な何か。

 ――それは恋か

「…………それはない。彼女が志貴に恋していたとしても……」

 私は呟きながら、階段を上がっていた。
 廊下にすれ違う人がいないのは幸いであった。私はなにやらぶつぶつと呟き
ながらマグカップ片手に苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのだから、あ
まり他人に見せられたものではない。琥珀と出会えばからかわれるだろうし、
翡翠に出会えば……どうするのだろうか?当惑はしなくても、今の私では会話
を続ける事は困難だろう。

 足早に書斎に向かって、はやく心を落ち着けようとする。
 だが、それは弱いが空気に染みこんだ毒のように私の思考をじりじりと侵す。
いっそ思考を強制して消去を掛けようとすら思うほどの。

 そんな中で、私が足を止めて視たのは――わずかに開いた扉であった。
 左右を見回す。この位置は間違いない、志貴の居室であった。いつもは締め
切られている筈のドアが開いている……珍しい事があるものだ。

 私はドアノブを握り、それを締めようとする。
 だが、真鍮のそれに手を触れる前に、私はそれに気が付いて全身を凍らせた。

 ――居る。誰かが中に。

 気配というのか――いや、この志貴の寝室の中に誰かがいる音がする。志貴
は学校であり、もう帰ってきているというのは――いや、早退している可能性
もある。だが、それらしい予兆はどこにも見られなかった。
 そうなると、翡翠か琥珀しかいない。蓋然性が高いのは翡翠であったが……

「………………………………」

 私は片手を真鍮のドアノブに触れられないまま、躊躇した。
 いや、翡翠が居るなら居るでいいのだ、志貴の部屋を整頓するのは翡翠の仕
事なのだから。このドアノブも仕事熱心で不用心にも開けっ放しなのだろう、
だから……

「ん……あ……」

                                      《つづく》