「やっと兄さん、私のことを振り向いて下さいましたね」
秋葉は僅かに笑うと、可笑しそうに小さく笑う。
異形の者になり果てた秋葉との対決を予感し、身構える思いであった志貴は
意表を突かれ、そんな秋葉を黙って注視する。
「ね、兄さん。私はずっと、兄さんに振り向いて貰いたかったんです。だから、
兄さんの目が他の女の人に向いていることがもどかしかった……私と兄さんは
魂を共有する間なので、兄さんには私だけを見つめて貰いたかった……馬鹿な
女の嫉妬です」
そう言う秋葉の顔は、今にも泣き出しそうであった。
志貴は思わぬ告白を聞き、僅かにみじろぎしてからその話に耳を傾ける。
「だから、私は兄さんがシエルさんを連れてきた時に、素直に祝福できなかっ
た。だから、琥珀の話に乗ってしまった……いや、乗る振りをしてまでも兄さ
んに振り返って貰いたかった」
――琥珀の話?
志貴にはその点は分からなかった。琥珀さんは、秋葉の症状を和らげようと
思って秋葉に血を与え、それが図らずも副作用となってしまった――違うのか?
志貴の顔に浮かんだ疑問の色を見て取った秋葉は、怪訝そうに首を傾げる。
「兄さん、兄さんは私が琥珀に血を与えられた事をご存じですよね?」
「……ああ、琥珀さんは秋葉を助けよう思って……違うのか?」
その言葉を聞いて、秋葉はぼんやりと志貴を見つめる。
――兄さんは本当に琥珀のことを知らないのか、それとも私を思いやって嘘
をついているのか……そう秋葉は考えたが、志貴の口調や態度に不自然さやに
偽りが見られない為に、本当に知らないのだと見当を付ける。
それは何故か――秋葉の頭の中に、青い髪のシエルの顔が浮かんだ。
多分、兄さんをあの女は思いやって、琥珀が故意に私を陥れようとしたこと
を告げなかった。如何にもシエルが考えそうなことに、思わず秋葉は肩をすく
めたくなる思いに駆られる。
きっと、兄さんは琥珀の事を知るとそちらのことばかりを思い悩みかねない。
それを、シエルは知って教えなかったのだろう。それは、確かに正しい判断だった。
秋葉は唇を噛み締めそうになっていることに気が付き、ふ、と息を吐いた
やはり、兄さんにはあの女がお似合いなのか――と。
「……そう、ですね、兄さん」
秋葉はシエルへの嫉妬に駆られて、腹立ち紛れに琥珀の計略に乗ってしまった。
日々血液の摂取量は多くなり、自分の身体がどんどん遠野寄りになっていくのが
分かったが、それをもう止めることは出来なかった。
そうなっても秋葉は構わなかった。ただ、志貴に振り返って貰いたかった。
秋葉は琥珀が何を考えているのかを見通していて、なおかつそれに乗っていた。
不幸な過去を経験した琥珀が何をしても、秋葉はそれを許すつもりでいた。なぜ
ならば、それが遠野としての自分が出来る、琥珀への償いであったから。
とうとう自分が遠野寄りから戻れなくなった今日、琥珀の手引きで館を出され、
街の中に送り込まれた。琥珀は、もうここまで来た自分が自発的に吸血行為に手
を染めるざるを得ないと考えている――そこまで秋葉は分かっていながら、琥珀
の策に従った。
そして、一人で街を彷徨う秋葉は、一つのことを決めた――
秋葉は何とも言えない泣き笑いで、志貴にこう言う。
「兄さん?私、一つの賭けをしていたんです。
聞いていただけますか?」
志貴は黙って頷く。いや、そうすることしか今の志貴には出来なかった。
「ここで、私を捜しに来るのが誰だかを賭けていたんです。
もし、あのシエルがやって来たのなら――私はこの世の未練を捨てて、ここ
に倒れている女性の血を貪り、一匹の悪鬼となると決めていました。きっと、
戦いになって私は討ち果たされていたでしょうね」
そんな剣呑なことを言いながら、秋葉は笑う。
痛々しく、聞いてられない低い笑い声。志貴は耳を塞いでこれ以上秋葉に話
をさせたくない思いに駆られていたが、ぐっと拳を握りしめて己の衝動に戦う。
秋葉の話を落ち着いて聞け――
「ふふふ……恋敵によって殺されるんです、さほどに悪い死に方ではありませ
んね。
でも、兄さんが来てくれた……嬉しかった……とっても……だから、兄さん、
お願いです……」
そこまで言うと、秋葉は一歩、また一歩と志貴に向かって歩き始める。
自分に迫ってくる秋葉を前に、志貴は一瞬身構えようとしていた。紅い髪の
秋葉はすでに異形に転じ掛けており、己の側に近づけることは危険を意味して
いる。ポケットの中のナイフを思わず探りかけた志貴ではあったが、秋葉の目
を見るとその動きを止める。
秋葉の目は涙を流していた。瞬きを忘れたような瞳から、つぅ、と涙がこぼ
れ落ち、頬に伝う。一筋の涙の線を、志貴は見とれたように眺めていた。
「兄さん。賭に勝った私にご褒美を下さい。
それは……私が遠野寄りに変わり果て、吸血鬼となって彷徨い出す前に、兄
さんの手で……殺して下さい」
秋葉の腕が志貴の首元に掛かる。秋葉の紅い髪が志貴の視界の中で舞う。
秋葉は腕を寄せ、志貴を抱き寄せた。そして志貴の耳元に囁きかける。
熱い秋葉の息と言葉が、志貴の耳朶を撫でた。
「兄さん……殺して……私を。
私は兄さんを手に入れられなかった。でも、兄さんに殺されるのならば、私
は兄さんだけのものになれる……だから、お願い……」
秋葉の言葉を志貴は、身動き一つ出来ずに聞く。
「兄さんは……あの兄さんの恋人のシエルに譲ります。
だから、兄さん……私を兄さんだけのものにして下さい……」
――秋葉の涙が、触れた志貴の頬を濡らす。
(To Be Continued....)
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