その日から、秋葉は伏せっていた。

 志貴より早く浅上女学院の新学期が始まったが、秋葉は始業式だけを出ると
体調不良を訴えて病床に着いてしまった。志貴の主治医だった時南先生や薬剤
師の資格のある琥珀が付きっきりで看病をしているが、秋葉の病状は季節外れ
の感冒だという。

 だが、その真相は分からない。ただ、秋葉が部屋から出てこなくなったこと
は、この遠野家での調査を始めた志貴とシエルには好都合だった。数日の間は
様子をうかがっていたが、志貴とシエルは秋葉が出てこないことを確認すると、
書斎の資料を探り始めていた。

 ここなら何かがある、という確信が志貴にはあった。

「血液というのは、そもそも完全食品なんです」

 書斎の脚立に昇り、本棚を上から一冊一冊探っているシエルはそう言う。

「完全食品ですが、食品としての保存性・可搬性という面では劣悪です。まだ
動物の内臓の方がなんとかなりますね……マサイ族は牛の血を主食としてます
し、ラップ人はトナカイの血も食べます。でも、世界を通してみればマイナー
な食べ物ですね。
 中国料理もフランス料理も、メジャーな血のレシピがほとんどありませんから」

 書斎の引き出しを空け、書類に目を通す志貴はその言葉を聞き入っていた。
 志貴の恰好は学生服で、上着だけを部屋に置いてきている。今日から学校が
始まり、始業式が終わって帰ってきたところだった。

 志貴にとっての高校は味気ない物になっていた。親友の有彦こそいるが、そ
れ以外に友人らしい友人もいない。それに、三年になると進路のことなどがい
ろいろあり、二年の時ほどのうのうとしていられない息苦しさも感じている。
 何より、シエル先輩がもう学舎にいないことが志貴には堪えていた。

「じゃぁ、吸血鬼はもっとも栄養的に適した食事をしている、って?」

 志貴はそう、吸血鬼の専門家であるシエルに尋ねる。かつてアルクェイドに
死徒・死者・真祖の事を聞いたことを志貴は思い出す。まぁ、アルクェイド自
身並じゃない存在で、その口から聞けたのは興味深かったが――と思い出す志
貴であった。

「吸血鬼の場合は、人間的な栄養云々は関係ありません。吸血鬼は自己保存の
ために遺伝情報をリフレッシュする必要があり、その遺伝資源の獲得として吸
血をするんです」
「はぁ……」
「世の中にはネロ・カオスの様な丸ごと補食する存在もいましたからね。で、
『吸血』鬼になって『屍食』鬼と呼ばれないのは、彼らにとっては屍をむさぼ
り食うよりも血を飲む方が効率的なんですよ」

 シエルは涼しい顔をしてそう言うが、剣呑な内容はそれを聞く志貴はあまり
穏やかな心地にはさせない。シエルが言っている言葉も、半分も分かっている
かどうかは志貴にはあやふやだった。

「血は霊的媒質としてプリマ・エーテル並のポテンシャルがあります。だから、
血を飲むのは霊的な力の移動に一番効率的なんですよ。まぁ、これ以上の効能
を期待するとエリクシルとかネクタルやソーマとかの理想媒質の出番になっちゃ
いますから」

 なにやらごそごそ出て来たそっちの世界の用語に、志貴はふむ、と生返事を
する。
 一方のシエルの解説は調子が出てきて、脚立の上でまるで教壇に立つ教師の
ように話し始める。

「でも、血を飲むというのは罪深い行為なので、利点に対して相応のデメリッ
トがあります。吸血鬼はそんな霊的媒質の中毒者ですから、ああいう碌でもな
い枯渇の反動に襲われやすくなります。他にも、回路のある超能力者には、血
液の摂取はメリットとデメリットが伴うんです」

 そこまで言うとシエルは脚立を降ろし、本棚の前を移動してまたその上に昇
る。シエルは本の中に何かを探している、というより本棚の中に隠し扉やキャ
ビネット、擬装ケースの類でも無いかをもっぱら調べているようであった。

 志貴の手は、シエルの話を聞きながらいつの間にか止まっていた。手に古い
書類を持ったまま、脚立の上のシエルの姿に見入っていた。
 すっかりメイド服姿の板に付いたシエルは、まるで十年前からこの屋敷に働
いている古参のメイドのようにも見える。翡翠や琥珀と同等の、まるでこれを
着て生まれてきた、とも見えるほどのそつの無さ。

「血を飲むというのは、トータルとしてみれば赤字の行為です。あの真祖アル
クェイドが一切飲もうとしないのも、こう言うのも奇妙ですが賢明な判断です。
 秋葉さんの場合も同じ事が言えますね」

 秋葉の名前が出て来て、途端にぎくりとして志貴は書類を取り落とす。
 綴り紐でまとめられた書類がばさり、と机の上に落ちる。志貴はそれに気が
付かず、シエルもそんな素振りの志貴に気が付かない振りをして、話を進める。

「秋葉、が?」
「はい……一度遠野君の傷を治すときに秋葉さんに協力してもらったんですけ
ど、その時に分かった彼女の力は『共融』と『略奪』です。どちらも吸血行為
によって受ける利点はありますが、それ以上に能力故に彼女には吸血行為はス
トレスになるはずです」

 シエルの理解のレベルで語られる秋葉の能力の説明は、あいかわらず志貴に
はちんぷんかんぷんである。だが、口調に潜む深刻さから、シエルが何を言い
たいのかを察することは志貴にも可能だった。なにしろ、吸血行為を行ってい
る秋葉が、今こうして臥せっているのだから、それの意味するところは明白で
ある。
 
 秋葉にとって、吸血行為は身のためにならない。
 でも、なぜ秋葉は吸血行為に身を染めたのであろうか――

 そこが志貴には腑に落ちないところであった。

「遠野くん、そっちに何かありました?」

 そう聞かれて志貴はあたらめて机の上に積まれた書類の数々に目を向ける。
そのほとんどが昔の父の槙久の残した仕事の関係の書類であり、当面には関係
がない物のように思われた。
 知らずに積み上げてしまった書類の山を前に、志貴は軽く溜息をついてその
一つ一つを元の場所に戻していく。

「こっちはめぼしいモノは無し。先輩も?」
「隠し扉の一つもあっていいんですけどね、何もありません」

 シエルは脚立からふわりと降りると、脚立を畳んで壁に立てかけ、志貴の元
にやってくる。志貴は書類を出来るだけ記憶の追いつく順に元に戻そうとする
が、片づけ物の常として仕舞いきれなかった書類がはみ出てしまい、志貴の手
に余った。

 とりあえずそれを別の引き出しに入れようとして、取っ手に指を掛けた志貴
はおや?と声を上げる。

「お、先輩。ここに鍵が掛かってる」

 志貴は引き出しの取っ手に指を掛けてがたがたと引っぱってみるが、引き出
しには鍵が降ろされて動こうとしない。もしかして、ここに何かが隠されてい
るかも、という期待が志貴の脳裏に走る。

 この鍵を「切れ」ば開く――そう思った志貴が鍵を破壊すべく眼鏡を外そう
とすると、その手をシエルが押し留めた。

「遠野くんがこんな事で無理することはありません。ちょっと待って下さいね」

 シエルは引き出しの前を志貴から変わると、小さな鍵穴の部分に指を当てる。
そして目をつぶってしばらく考え事をしているように見えるが、そんなシエル
の唇がわずかに、何かの言葉を紡ぐかのように動く。

「……開きました」

 そう言って、シエルは何事もなかったかのように引き出しを開く。
 目の前で魔術を見せられ、志貴は思わずおお、と感嘆の声を漏らす。あのア
ルクェイドと戦った壮絶な魔術の戦いに比べると実に些細な鍵開けではあった
が、些細で身近なことだからこそ妙な感慨があるものであっった。

 引き出しに入っているのは、紙を紐で束ねた和綴じの本と洋装幀の手記だった。
 まず志貴は和綴じの本を手に取り、ぱらぱらとめくる。遠野で始まる名前と
生年、没年が線で結ばれていることから、これは遠野家の家系図か?と推測を
付ける。

 その家系図の中に記録された遠野家の代々の人間を眺めていく内に、志貴は
一つのことに気が付く。
 ――遠野家の人間は、誰一人大往生を遂げていない。病死・事故死・自殺・
狂死・他殺・失踪。一つの家系にしては、呪われている、と言えるほどまとも
な死因がない。

 そして、槙久の下のアキハ・シキと言うところまでたどり着くと、そこには
病死した養子の名前が併記されていた。その子供も、シキ、とある。
 ――そうだ、この死んだ筈の子供が俺で、生きているはずのシキがあのロア
だった。

 この忌まわしい家系図から目を離すべく机に置くと、志貴は思わずうめき声
を上げる。

「……なんだ、遠野家って……」
「不思議ではありませんよ。超能力を家系で受け継げば、発現者はまず普通の
生活は出来ません……たとえば世襲長のナルバレック家だって破綻者ばっかり
輩出してますから」

 この家系図を眺めても、シエルはいたって冷静であった。遠野家の当事者で
ある志貴と部外者であるシエルの差からかもしれないが、シエルの方がこの手
のことに慣れていることもその落ち着きをさらに確固とした物にしていた。
 シエルはそんな志貴に、もう一冊の本を手に取るように促す。

「わかった、先輩。次だね……」

 手帳のような洋風の装幀の横罫ノートには、万年筆で志貴の父、槙久の覚え
書きが書き付けてあった。晩年にはほとんど精神病の寸前だったという父の文
章を目で追う志貴は、その内容に引き寄せられ――戦慄した。

「な、なんだよ……これは……」

(To Be Continued....)