遠野家本邸をぐるりと回りこむと、そこには雑木林が広がる。
 強い日差しを遮る樹冠を眺めながら、私は歩を進めた。時折、頬を撫でる風
が長い黒髪をなびかせて揺らす。木々の葉が重なる音と呼応するようなそれは
心地よい静けさ。
 大小様々な木々の間を抜けて目的の場所へ辿りつく。


 そこはとある広場だった。
 その一角のみだけ陽光にさらされて、まるで舞台照明を当てたような明るい
空間を演出している。木もそこだけを避けるように広がっていた。
 ここは私と兄さんのちょっとした思い出の場所だ。
 あの忌まわしい出来事とは別の、ちょっとした出来事の場所。
 そこに来るとあの日のことを思い出す。

 そう、あれは……

「面影の泉−オモカゲノイズミ−」

               10=8 01(とーや れいいち)



 涼やかに雑木林を駆け抜ける風。
 その風を追いかけるように一つの影が木々の間から飛び出す。
 樹冠で日差しが遮られていたとはいえ、夏の日差しはその人影に汗をかかす
には十分すぎた。人影が長い髪を揺らしながら走っている。
 その人影――秋葉は息を荒くしながらも足を止めようとはしない。

「はぁ……はっ、はぁっ……」

 幼い声が一生懸命に酸素を求めてあえぐ。
 その表情は焦っているようにも見え、それとは似て異なる別の感情も含めて
いる。言うなれば、何かを激しく求める渇望か。
 森の中を駆け抜けるほど、秋葉の足は速くなってゆく。草を蹴散らし、大地
を踏みしめ、さらなる一歩を踏み出して、さらにもう一歩。
 その足は止まらない。


 流れてゆく新緑の景色など見ている余裕は秋葉には無かった。
 ちらり、と後ろを覗いて確認する。そこには視界を遮るほどに多くの木々を
宿した雑木林のみ。わずかに漏れる陽光を遮る影は無い。
 どうやら、誰もついてきていないようだ。
 とりあえずの安堵を息にして、再びその速度を上げる。
 内から湧き上がる衝動と、外からの干渉に細心の注意を払って走り続けたが、
そんな器用なことが長く持つはずもない。
 これ以上はもたないかも……
 そろそろ限界が来たか、と思った瞬間に周囲を被っていた影が一気に晴れ渡
る。樹海の冠は、その一角を避けるようにして青空を切り取っている。
 空も青なら、向かい側も青。
 その青空を映し出している鏡面の水は、底から湧き出る清水によってゆらゆ
らと波紋を起こしていた。驚くほどに透き通ったその泉は、名水と言っても過
言では無いほどの美しさだろう。
 静謐に近い程に緩やかなせせらぎが、軽く優しい音を立てて耳朶を揺らす。
 目的の場所にたどり着いた事に安堵した秋葉は、その腰をゆっくりと落とし
た。


 そもそも、志貴が原因なのだ。
 秋葉はそう心で呟く。
 今日はあんまり好きになれない兄――遠野四季が父に呼び出されて一日を潰
している。秋葉にとっては久しぶりの休日である。
 元々、休日ですら習い事で忙しかったのだ。今日はそれを忘れて、もう一人
の兄――遠野志貴と一緒に遊び倒そうと思ってた矢先にこれだ。
 彼に連れ回されて屋敷の本邸を離れた雑木林の中へ。

 尿意を感じたのはその時だった。

 雑木林は屋敷から離れた場所のために、そこのトイレに行くとなると間に合
わない可能性が高い。かといって、ここでするというのもお嬢様育ちの彼女に
は羞恥以外の何者でもなかった。
 それに目の前に志貴がいるのだ。彼のすぐそば、茂みの中でもよおすのだけ
は絶対に避けたかった。
 そこで白羽の矢が立ったこの泉。
 ここは秋葉がかくれんぼの際に見つけた特別な場所であった。志貴も四季も
翡翠も父も知らない、秋葉だけの場所。
 秘密のここならば誰にも気づかれることはないだろう。
 本当はここですること自体に負い目を感じていた秋葉だったが、屋敷よりも
近いし、彼女の我慢もそろそろ限界だった。

「……だって……漏れそうなんですもの、しょうがないですよね……」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、スカートを捲くる。
 そのショーツに手をかけて、わずかに逡巡。さすがに股間を外気にさらすの
は抵抗があった。
 もしや誰かに見られているのではないだろうか。志貴が追いかけてここに気
づいているのでは。
 そう思うと身体がガクガクと震える。

「大丈夫……だれも、見てない……よね?」

 そう言い聞かせて、再びショーツを下ろそうと手をかけた。
 ああ、もう我慢できない。これ以上は本当に拙い。
 もう周りを気にしている余裕は、秋葉にはまったくなかった。
 だから。
 彼にも気づかない。

「――あきは?」

 茂みを掻き分けて、出てきたのは黒髪の少年。
 その視線は秋葉の姿を見て固まっている。無理もないだろう、現在の彼の思
考は何も考えられないに違いない。
 驚いたような志貴。
 それ以上に秋葉は驚いている。
 瞬時に極限にまで高まった緊張感が、その限界を超える。それは秋葉の張り
詰めていた糸をあっさりと断ってしまった。
 緩んでいく下腹部。
 もう止められない。
 止まらない。

 ――ぷしゅっ、しゃぁぁぁぁ……

「い、嫌ぁっ! 兄さん見ないでっ、みないでぇぇ……」

 羞恥に赤らめた顔を隠しながら懇願する秋はの声。
 だが志貴の耳にそれは届いていない。ただ目の前の光景に心奪われたように
見入ってしまっている。
 とめどなく漏れる液体が、白い脱ぎかけのショーツに卑猥な染みを広げてゆ
く。秋葉の下半身をびしょびしょに濡らし、地面に小さな水溜りを作り出す。
 堰を切ったように溢れ出した黄金色の液体は未だ止まることを知らない。ち
ょぼちょぼという音を立てて秋葉の下半身を蹂躙する。
 息を飲む志貴。
 秋葉が泣いている。
 自らの羞恥を見られて、その恥ずかしさと屈辱から志貴の顔を見ようともし
なかった。

「にいさぁん……うっ、うぇ、うぇぇぇん……」
 
 目の前で秋葉が泣いているというのに、志貴の頭は真っ白になっていた。
 秋葉がおもらしをしているという光景にその視線は釘付けだ。その目を逸ら
さずに、ただじっと秋葉の下腹部を見つめている。

「……あきは」

 彼女の名を呟いて一歩。がさり、という草を掻き分ける音がやけに大きく響
いた。
 刺激のあるアンモニア臭が鼻孔をくすぐり、さらに志貴の思考を揺さぶって
ゆく。脳髄の辺りが痺れてしまったような気分。
 未だ泣き止む様子のない秋葉に近づいて、頬を濡らす涙をすくい取る。
 そしてそれを。

「ん――あきは、泣くなよ」

 小さな舌で舐めた。
 赤い舌がたどたどしく動く様は、まるで小動物の親が子供を愛しむようであ
る。
 ぺろぺろと秋葉の右頬を舐め上げてゆく。
 いつのまにか彼女は泣き止んでいた。
 志貴はそのまま左の頬を舐めにかかる。

「あっ……ん、んっ」

 ぷにぷにとした柔らかい頬をゆっくりと這う志貴の舌。時折、そのほっぺた
を舌で軽く押したり、唇で甘噛みしたりする。
 その度に秋葉は敏感に反応し、その身体を小刻みに震えさせた。
 涙をひとしきり舐め取った志貴が、その喉を軽く嚥下させる。ごくり、と喉
を通ってゆく音はやけに生々しく聞こえた。

「はぁ――あきは、しょっぱいけど、おいしいよ」

 普段なら赤面してしまうような言葉を、幼い声から紡ぎ出す志貴。
 だが秋葉に不快感は無かった、むしろ嬉しさすらある。志貴とこうしている
ことが何となく、心地よく感じてきているのだ。
 少し残った涙の跡に志貴の唇が近づく。
 秋葉の軽い抵抗、だが彼は止まらずにその口を頬に押し付ける。唇が押され
る度に軽い弾力をもって押し返す感触。
 押し付けられる唇を肌で実感しながら、秋葉は喘ぐように空気を求めた。思
いのほか息は荒く、身体が火照ってしまっている。

 ちゅぅぅっ……

 志貴はその頬を吸い上げる。その頬に染み込んだ涙の味を確かめるように激
しく、それでいて優しく吸引してゆく。
 やがて小気味いい音を立てて唇が離された。

「ふあっ……はぁ、はぁ」

 見れば秋葉は抵抗の意思もなく、今にも腰が抜けてしまいそうな状態だ。
 一方の志貴は、その瞳を細めて彼女を見つめていた。どこか酔った様に悩ま
しげなその表情は、少年の持つ幼さと相まって不思議な魅力を醸し出している。
 秋葉が潤んだ瞳を向け、喘ぐようにつぶやいた。

「………にいさん……」
「あきは、よごれちゃったね……」
「え……あっ……ぅぅぅ」

                                      《つづく》