Syunsuke
金色の炎を上げる幾つもの松明に照らされてはいるが、部屋の中は暗い。窓ひとつ無いために時間を知る術はないのだが、住人は夜であることを把握していた。
身に纏った古風で優雅なドレスが一歩踏み出すごとに静かに揺れる。群青のスカートの上の比類なき絹布の白さも、惜しみなく晒した背中や肩の輝きに比されれば霞んで見える。飾り帯や刺繍の金糸もまた、木漏れ日を編み上げたかのような真っ直ぐな蓬髪の前にあっては比較されることが不運だった。見据えられて、呆けたように眺めずに居られる者はめったにいない。伝承に語られるメデューサが姿を見たものを石像に変えるが如く、対峙した者は言葉も動作も喪失する。ただ違うのは、恐怖ではなく畏敬によって成されること。姿を見て視力を失うことこそ無くとも、己の知る言葉の意味の理解を改めずに済ませることは叶うまい。
それほどまでに、この城の主たる姫君は美しかった。
朱い月のブリュンスタッド。かつてそう名乗ったことを、遠野志貴は記憶している。
「ふむ。やはり、おぬしであったか」
典雅に歩みを進めて対話するに相応しい距離に至り、高圧的ではありながらも親しげに語りかける。
「やはり?」
「うむ。客人があることはすぐに判るのであるがな、おぬしのような気がしておったのだ。しかし、何故にまたこのような場所に現れた?」
「何故と言われてもね。でも、確かに変だ。おまえに会うのはアルクェイドの夢の中だけのはずなのに、俺は今夜は独りで寝てるんだから」
気が付いたら志貴はこの部屋に立っていたのであり、辺りを見渡す間もなく正面から朱い月が近付いて来たのだった。
「本来ならそのはずであるが、な。一度紡いだ縁(えにし)の糸だ、手繰り寄せるのは難しいことではあるまい。それに、判っておるのだろう? 私が次第に浮上し、アレの表層に達しつつあることも」
アレと呼ばれたアルクェイドの顔を志貴は思い浮かべた。確かに、最近は眠っていることが多くなっている。
「ふん。で、そっちこそ何の用だい? 縁の糸だかなんだか、俺にはそんなもの操る能力は無いんだから、あんたが何かしたんだろう?
「解らんやつ、こんな邂逅は互(かたみ)に糸を引いて織り上げねば起こるわけがないのだ。もっとも、それはつまり私の方も糸を引いたと言うことではある」
言葉を切り、俯いて視線を泳がせつつ思案の風情。
「しかとは解らぬが。結局のところ、この身がおぬしに会いたがっただけなのかもしれんな」
「会いたがった? 俺としては、あんたになんか出て来て欲しくはなかったんだが」
「そう、つれなく言うでない、人間よ。おぬしはこの身をアルクェイド・ブリュンスタッドと見なしておるのであろう?」
前に会った時にもした議論であり、朱い月はこの手の会話を甚(いた)く好んでいる様子。しかしながら志貴としては、把握し難く応じる気の起こらないものだった。
「良いよ、その話は。うん、でも、あんたがアイツと違うってんなら、アイツに出来なくてあんたには出来ることなんてのもあるわけだね?」
「無論。今の私では、アレより優れているなどと主張することはせんが、同じではない」
言葉を受けて、今度は志貴が考え込む。その様子を朱い月は微笑を浮かべて見詰めていた。
「じゃあ、これから言うことをやって見せてくれる?」
「申してみよ」
「うん」
志貴の顔に、押し殺した笑いが表れてはいた。だが、人間と付き合い慣れていない朱い月にはその意味まで読み取ることは出来なかった。
「じゃあ、まず。そのスカートの裾、手で持ち上げてみて」
虚を突かれたように硬直するも、慌てることなく朱い月は言葉を返す。
「何故そのような馬鹿げたことを?」
「いや、やってくれないと確かめられないんで」
戸惑った気配ながらも、広がったスカートを屈んで両手で摘むと、腰の辺りまで持ち上げる。ふんだんに襞を取った青い布地がまくれ上がると、下には白い薄布が覗く。
「ああ、ごめん、ペチコートも一緒に持ってくれる?」
「下衆が、そんなにこの身の脚が見たいか?」
言いながらも、抗わずに掴み直してドレスと一緒にたくし上げる。
「へえ、そんな昔風の上品なドレスの下なのにね。それで、もうちょっと上げて。手が胸の辺りに来るまで」
朱い月の脚は、近代的な構成の白いストッキングを穿いていた。志貴の要請に黙って従い、スカートとペチコートが更に上がって行く。腿まで露(あら)わになり、上端にレース飾りの施されたストッキングと、それを留めるガーターベルトが姿を見せた。白いシルクの光沢もまた、素肌の艶めいた輝きには形無しであった。
「じっとして。俺は真面目だからね」
口にしながら、志貴は朱い月の正面に屈みこむ。
「何をする?」
流石に幾分狼狽した声であった。
「怒らないでね」
志貴の目の前には、朱い月の女性の部分を覆う布地がある。既に見慣れたアルクェイドとそっくりで、髪が目に入らない今の状況では区別は付きそうに無い。
志貴はポケットに手をやり、ナイフを握る。
「何をする気だと聞いておる」
「前にアルクェイドに訊いたことがあってね。真祖の体と人間の体はどこまで同じなのかってことについて」
話しつつ、刃を朱い月の体に向け、神速の動きで二度斬り付けた。
「おぬしっ!」
斬られたものが床に落ち、朱い月の女性の部分が金色の翳りと共に露わになった。
志貴は、残骸になった肌着を横に放り投げる。
「何がしたいのだ?」
憤慨することなく、ただ呆れたように、朱い月は問う。ドレスの裾も持ち上げたままゆえ、脚も秘所も隠されないままである。人間など、そのような意味においては眼中に無いのか、恥らう気配も無い。
三歩ばかり後に下がって、志貴は言った。
「そのままで、おしっこ出来る?」
きょとん。朱い月は何も言えないまま二、三度目をぱちくりさせ、初めて焦った声になって喚いた。
「一体なんのことだ、それはっ」
「何って、おしっこはおしっこだよ。小便。尿」
「そんなことは解っておるっ。なぜ私が立ったまま小便するなどという馬鹿げた真似をせねばならんのだっ!」
騒ぎ立てながらもそっちには気が回らないのか、まだスカートを手にしたままだった。
「アルクェイドに出来なくて、あんたに出来ることがあるって言ったのはあんたじゃないか。それが本当かどうかひとつ試してるだけだよ」
「つまり、アルクェイドには出来なかったと?」
「うん。なんでまたそんなことも出来ないのかと思ったんだけどね」
また呆れ顔で、朱い月は言葉を返した。
「それは、おぬし、能力云々ではなくて恥らっただけではないのか?」
「出来なかったことには変わりないだろ。で、あんたには出来るの、出来ないの?」
肩を振るわせたのは、怒ったのか笑ったのか。押えた表情がちょっと浮かぶ。アルクェイドの顔を見慣れた志貴には、雰囲気こそ違っても、それが恥ずかしがっているのだと判った。
じーっと顔を見つづける志貴の姿に耐えかねたのか、意を決した様子で朱い月は口を開いた。
「出来るとも、それぐらいのことが出来ずになんとする」
「そうか、じゃあやってみせてよ」
あっさりと言わる。朱い月はまた少し肩を震わせ、スカートを持った手を広げて布地の下の空間を広げた。
一度両目を閉じて顔を背けたが、ややあって正面に戻し、むしろ志貴の目を睨みつけるようにする。
高貴なドレスを纏い、決してそれに埋没しない美貌と完璧とも言えるプロポーションを持つ、気高き朱い月のブリュンスタッド。最初の真祖。死徒二十七祖の第三位。月のアルティミットワン。
様々な異名を持つ麗しき姫君は、立ったままで、脚の間から液体を撒いた。ほとんどはホースで吐き出したように空中に弧を描いて床に落ちるも、全てとはいかない。どうしても少しは肌を伝い、脚に沿って流れて白いストッキングに濡れた線を付けてた。色があるようには見えなかったが、それでも完全に無色ではなかったらしく、濡れた部分は極わずかながらも黄色っぽく見えた。
床に生まれた液溜まりから白い湯気が上がる。
しゃらしゃらという音が止んだ時、両足を伝っていた部分は靴近くまで降りていたが、ストッキングに染み込んで筋を作ったなりで終わり、実際に靴を汚すことは無かった。
「……っ。っ、くふっ」
真剣な表情で朱い月と向き合っていた志貴が息苦しそうに顔を真っ赤にしていた。
「どうした?」
こちらも頬を赤らめつつ、どこか誇らしげに取り繕って澄ましながら朱い月は問いかける。
「っくっくっくっ、わははは、はぁ、はっはっはっ!」
「人間、なにが可笑しい?」
「わはははっ、まさかほんとにするなんてっ!」
堪えきれなかった志貴は、涙を流さんばかりに笑い転げた。
「愚弄したか、人間っ!」
……これが、馬鹿げた夢の中で志貴の聞いた最後の声だった。
<了>
終わりです。続きはありません^^;
もっとも、「朱い月たんと遊ぼう」なるシリーズを構想してはおりますw